発生時期 | 事象名 |
1971年8月 | ニクソンショック |
12月 | スミソニアン協定 |
1973年2月 | 変動相場制に移行 |
10月 | 第1次オイルショック |
1979年 | 第2次オイルショック |
1985年 | プラザ合意 |
1987年 | ブラックマンデー |
1989年4月 | 消費税3% |
1997年4月 | 消費税5% |
2001年9月 | アメリカ同時多発テロ |
2007年 | サブプライムローン破綻 |
2008年9月 | リーマンショック |
2011年3月 | 東日本大震災 |
2014年4月 | 消費税8% |
2019年10月 | 消費税10% |
2020年2月 | コロナショック |
資産価値の決まり方
資産価値は、その資産が生み出すと予想される収益によって決定される。
=ファンダメンタルズの価値
【バブル】:資産価格がファンダメンタルズの価値から乖離し続ける状態のこと
バブルが発生する仕組み
・多くの人が資産の価格が上昇することを予想し購入しようと殺到し、本当に価格が上昇する
⇒値上がりすると思うから値上がりする
1980年代後半の日本の資産価値にはバブルが発生していた。
1990年の市街化地価指数は525(2000年を100として)
バブル発生の3つの主要因
1.緩和的な金融政策
緩和的な金融政策によって、多く供給された貨幣が資産市場に流れ込み株や土地の需要を高めた
2.銀行の緩い貸出態度
「護送船団方式」の下、保護された銀行は借り手の審査が甘かった。
資産が上昇し担保価値が高まり、さらに貸付は増えた。
3.いびつな金融規制
大規模銀行以外の金融機関に対しては、規制や監視が緩かったため
危険な不動産貸出が大量に行われた。
バブルが景気に影響を与える2つの経路
1.消費を通じた影響
バブルによる資産の上昇は、基礎消費C⁻を増加させる
短期の均衡総生産は上昇する
2.投資を通じた経路
担保価値の上昇によって、銀行の貸し出しが増加した。
企業の設備投資や家計の住宅投資が増加した。
投資関数 Id = -br + I⁻
投資関数のI⁻を増加させるため短期の均衡総生産は上昇する
1990年代初頭から2002年頃までの長い低迷期を失われた10年と呼ぶ。
ファンダメンタルズよりも高い値段の付いた資産を持ち続けても購入代金を回収できる見込みはない。
そのことに気づいた人々は、資産を買うのをやめてバブルは崩壊する。
資産価値バブルがなくなったら景気は元に戻るはずだが、
バブル以前よりも大きく落ち込んで、長い低成長となった。
景気を刺激する財政金融政策が数多く行われたにも関わらず。
不良債権問題
多額の貸付が回収できなくなった。
金融機関は、リストラを通じた経営再建をすべきだったが、そうした動きはせず貸し渋りをした。
貸出の停滞は投資需要の低迷をもたらした。
金融政策の問題
ゼロ金利政策は1999年から実施していたが、バブル崩壊直後はむしろ利子率を引き上げていた。
景気の悪化に対して、金融政策が後れを取っていた。
2000年8月にゼロ金利政策の一時解除をしたことも政策ミスという見方がある
デフレによって予想インフレ率が低下すると実質利子率が上昇するので(フィッシャー方程式)
投資需要が減少してしまう。
林・プレスコットの研究
1990年代の日本の技術進歩率を計測し、それまでの時期と比べて大幅に下がっていることが判明した。このような供給能力の伸びの低下によって「失われた10年」を説明することが可能であることを示した。
なぜ技術進歩率が低下したのか?
⇒資源再配分機能の低下
本来、市場には生産性の低い企業から高い企業へと資金や労働力が移動していく機能が備わっている。
バブル崩壊後の日本経済では、不良債権問題によりこの機能が失われていた。
銀行は経営が悪化した企業に対しても資金の供給を続けていた(追い貸し)
一方、新規の借り手には貸し渋りをした結果、生産性の低い企業が市場に残った。
不良債権問題が生産性という供給面に影響を与えていたとする学説である。
デフレを説明できるか?
供給の低下はインフレを起こすはず(フィリップス曲線)だが、実際にはデフレが起こった。
生産性の低下によって
家計は所得が減少すると予想すれば、現在の消費需要を減少させる。
企業も将来の収益が低下すると予想すれば、現在の投資需要を減少させる。
供給の減少よりも需要の減少が大きければ、デフレが発生する可能性がある。
日本の利子率(コールレート)は、1999年3月~2006年6月まで
一時期を除きゼロ金利政策がとられた。
債券を持つ人がいなくなり現金が多く流通する。
国は政府購入を増やして景気を回復させようとした結果、財政支出対GDPは赤字が続き、
政府の負債の合計はGDPの2倍を超える水準となった。
1.緩やかな景気回復(2002~08年)
2002年には不良債権問題に目途が立ち、好調だった世界経済に引っ張られて
外需主導の緩やかな景気回復期に入った。
2.世界金融危機(2008~09年)
2008年9月のリーマンショックによって、輸出が急激に減少。
輸出に頼っていた日本の景気は一気に悪化。
3.東日本大震災(2010~12年)
2011年3月の東日本大震災は、電力不足や物流の停滞といった供給ショックとなり
日本経済を襲い、自粛ムードは需要も低下させた。
4.アベノミクスの登場
2012年12月 第2次安倍政権発足。「3本の矢」と呼ばれる積極的な経済政策が打ち出された。
1.インフレ目標の採用
インフレ率2%の数値目標を設けて、それが達成されるまで政策の手を緩めないと宣言する。
フィリップス曲線の理論から、予想インフレ率の上昇は現在のインフレ率にも影響を与える。
2.異次元の量的緩和
日本銀行は民間銀行から国債等を買い入れて、その代金を民間銀行の口座に入れる。
民間銀行は日銀に預けていても利子が付かないので、家計や企業に貸し付けることになる。
3.マイナス金利
実際は銀行の家計や企業への貸付は多く出回らなかった。
そのため日銀は、2016年1月にマイナス金利政策を採用した。
⇒インフレ目標は達成されていないが、かつてのようなデフレではなくなった。
積極的な財政政策が行われた一方で、財源となる税収の確保は先送りされた。
1.財政負担の世代間格差
将来、増税や政府購入のカットで財政を回復しようとしたとき、
その負担がその時生きている世代に降りかかることなる。
2.不確実性からくる将来不安
将来の大きな負担がくるかもしれないという思いから、
現在の消費が委縮する可能性がある。
3.予算の硬直化
財源がないため画期的な政策が採用されない可能性がある。
政府にできることは限られている
・規制によって生産性向上のチャンスを妨げないこと
・企業が開発した新技術が横取りされないように環境を整備すること
労働市場改革の可能性
・多様な働き方をする人たちに雇用と訓練の機会を与え、
人的資本の蓄積を進めて、経済全体の生産性を高めるよう取り組む。